矜持ある装いに規律ある花を挿す

服のことを主につぶやいていきます。たまにそれ以外のことも気ままに。

クラシックカーと装いと言葉の壁

クラシックカーのイベントへ行った。

 

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美しく、今もなお色褪せない数々のクラシックカーそのオーナー達は皆、外国の方のようだ。

 

 

その中の一人の方が僕に言った。

 

「ナイスシューズ!」

「ナイス(ネク)タイ!」

 

と。

 

僕は嬉しさと同時に少し悔しさもあった。

 

なぜか。

 

僕は常に、

 

「ナイスコーデ」

 

を目指してるからだ。

 

衣は上から下まで全ての組み合わせで、服となる。

 

それを人が纏って初めて服装になるのだから。

 

ただ、そのとき履いていたクロケット&ジョーンズのシューズは紛れもなく名品であると同時に、今回感謝しなければならない。

 

英語のわからない僕と日本語のわからないクラシックカーオーナー

 

 

この二人の間にある言葉の壁を、いとも簡単に超えてコミュニケーションをとらせてくれたのだから。

 

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服は毎日着るものだから

 
洋服が人間をつくる。裸の人間は社会にほとんど、あるいはまったく影響力をもたない。
Clothes make the man. Naked people have little or no influence on society. 

 

トムソーヤーの冒険の著者であるマーク・トウェインはこう残した。

 

 

偉人たちの言葉がいつの時代も正しく不変なのかどうかは僕にはわからない。

 

“人は中身だ”という風潮の強い現代においては反対意見も多いのかもしれない。

 

 

ただ1つ言えることは、僕たちは毎日服を着るということなんだ。

 

かっこいい服を着よう、美しい装いをしよう。

 

高価な服、ブランド物で身を固めた格好ということではない。

 

それとは真逆にあるものだ。

 

真逆とは安価で無名なものということではない。

 

自己の矜持と規律ある服装ということだ。

 

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